Windows95が発売され、CPUもPentiumが標準CPUとしてどのパソコンにも実装され始めた頃の1995年の初夏の日のことです。
秋葉原のツクモ電機で衝撃の出会いが待っていました。
そこには、見たこともない小さなマシンが鎮座していたのです。そうそれがHP社から発売されていたHP200LXだったのです。
その頃の自分は、毎週のようにパソコン雑誌を買いあさり、自宅や会社のパソコン環境を少しでも使いやすくしようと毎日のようにNifty
Serve(現@NIFTY)にアクセス。フリーソフトやシェアウェアソフトをダウンロードしまくっていたのですが、そんな自分でもこのマシンの存在は知らなかった。(^^;;
ちょうど、Windows95が話題になっており、自分もそっち方面の情報を主に集めてましたから目につかなかったのかもしれん。
スペックを見ると『CPU 80186 ハードディスクなし
RAM2MB。。。』 当時自分が自宅で使っているパソコンは『NEC
PC-9801 NS/R :CPU/換装80486 48MHz、 RAM/12MB、HDD/500MB
』、会社のパソコンはちょうど新規パソコンを申請中で『Pentium,166MHz
、RAM/64MB、HDD/4GB』というマシン。とてもスペックを見る限り使えそうなマシンには見えませんよね。
さらに、このマシンのOS欄にはMS-DOS5.0 英語版と記載されているではありませんか。
自分は英語嫌いです。わかりませんし、読めません。しかしその横には日本語化キット取り扱い中って文字が。。。
そう、このマシンは米国生まれながら今のパソコンと同じくソフトウェアによって日本語表示が可能になっていたのです。
そして、日本語変換ソフトはAIソフト社のWXIIがエディタにはメガソフト社のMIFESが使えるではありませんか。
それにもまして、思ったよりキビキビ動くことに驚きは隠せませんでした。自宅マシンNS/R&Windows3.1よりはよっぽと軽快だったのです。
この日から片思いの日が始まりました。。。
だって、このマシンは本体のみでは使えないのです。本体以外にフラッシュカードメモリ、日本語化キット、パソコンと接続するためのケーブル、パソコンでも同様な環境を実現するためのコネクティブ・パック。。。
トータルすると20万円近くしてしまうんです。
20万円あれば当時Pentium90くらいのマシンだったら購入できちゃうんです。
自宅近くの横浜市立図書館を覗いては、関連書籍を借りまくり、雑誌でHP200LXが掲載している記事を見ると購入し、熟読するという日々が続きました。
そして予備知識を仕入れれば仕入れるほど、購入したいという思いがつのるばかり、悩みました。もんもんとした日を2ヶ月以上過ごしたんです。
そしてある日。。。
ボーナスまであと一ヶ月を切ったある日、仕事で某メーカーに遊び(仕事)にいった日のこと、そこで自慢げにHP200LXを取り出した人と会ったのです。
その人は自分と同じような時期にやはり200LXに目を付け熱い思いを語り会っていた人だったんです。
くやしかった、ただ先を越されてやっぱりくやしかった。
そこには、秋葉原に足を向けている自分が。。。
ついに、ついにゲット〜〜〜っ!
しか〜し、片手にはカード利用明細が。。。(笑)
その日から、ソフトバンク社刊『HP100/200LXバイブル』がそれこそ自分のバイブルとして存在し、改めてDOSについて勉強し直す日々が続きながら今日まで至っています。
今までのシステム手帳からすべて200LXに乗り換え、いつも自分のかたわらで活躍。今ではHP200LXなしの生活は考えられません。
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