黒龍 音楽に目覚める

今から思うと自分が音楽というものを意識しだしたのは、親父が兄貴に当時はやっていたアニメの主題歌を集めたLPレコードを5・6才の時に聴いたときである。
もちろんステレオなんかじゃなくて、一体型の簡易プレーヤーであったが当時はあんな機械から音が出ること自体ちょっと不思議であった。

「タイガーマスク」「おばけのQ太郎」「どろろ」「サスケ」「おらぁグズラだぞぉ」「怪物くん」とかだったと記憶している。
あと、一家に一枚あったとうわさされた「黒ネコのタンゴ」もあったなぁ。

とくに「サスケ」のエンディングテーマ?でサスケの母親がサスケに語りかけているような歌や、タイガーマスクのエンディングテーマなんかむちゃくちゃ悲しい曲だったように思い出される。
もちろんはっきりとは覚えていないのであるが。

我が家の親父やじぃさんは普通の働き者の田舎モン親父連中であったから決してジャズとかクラシック、オールディーズなんかを聴くようなタマではない。

それに自分も家の中に閉じこもっているタイプではなく外で遊ぶ質であったから特に音楽といえば「山口百恵」「桜田淳子」「郷ひろみ」「西条秀樹」といった歌謡曲をTVを通じて聴いていたくらいだった。
小学生の時、親父の車の中から流れてくる「ピンカラトリオ」「女のみち」なんかは子供の時一切内容はわからずに口ずさんでいたりしていたもんである。(笑)

中学に入る頃にはピンクレディーが全盛時代で高校では「松田聖子」「たのきんトリオ」「河合奈保子」「小泉今日子」だった。

中学時代、「Rainbow」「Kiss」「Led Zeppelin」なんかのコピーバンドをやっている友達連中がいたが、当時は洋楽やロックには全く興味が無く、うるさいだけの音楽としか聞こえてこなかった。

そういう中で、知らず知らずの内に4才年上にいとこ。一つ上に兄貴がいて、「チューリップ」とか「かぐや姫」「中島みゆき」「さだまさし」なんかのフォークソングが耳に入ってきており、更に洋楽では「ビートルズ」「ビリージョエル」なんかも耳にしていた。

あと、いちおう自分も中学3年の時少しながら受験勉強なるモノをしておりその傍らにはラジカセがあったので歌謡曲の他にこういった音楽を耳にしていたかもしれん。

そして高校時代にはオールナイトニッポンの「松山千春」「中島みゆき」。。。(もちろん「鶴光」もね)文化放送の「さだまさし」なんかの深夜放送をけっこう聴いていたのを思い出す。

でも決して音楽に目覚めていたというよりもなんとなく聞き流していたっていう程度で自分から進んで音楽を追っかけているってことはなかったね。

初めて自分の小遣いで購入したアルバムが「ビートルズ」のラブソングのベスト版だった。これは高校時代のクラスの女性から「ビートルズっていいよね?」って一言でなけなしの小遣いを使って購入したのであった。(笑)

たしかにラジオを通じていろんな音楽を聴いていたと思う。しかし耳には全く残っていなかったってのが実状である。

そして高校を卒業し大学一年、大きな転機が訪れた。
大学で知り合った親友宅(大学寮)に遊びに行ったときである、衝撃的な音楽と出会った、それは「JOURNEY」「FRONTIERS」のオープニングを飾った「SEPARATE WAYS」を聴いたときである、はっきりいってぶっ飛びました。
こ、こ、こんなにすごい音楽があるのかぁ〜。目から鱗の状態であったのです。

そしてその親友を通じてもう一人 目から鱗であったのが当時デビューしたての「白井貴子」のアルバムを聴かされそこで「SOMEDAY」を聴いたのである。

親友曰く「SOMEDAYは名曲だよなぁ〜。でもやっぱ元春のSOMEDAYの方が数倍いいね。」そう、「白井貴子」の「SOMEDAY」は「佐野元春」の「SOMEDAY」のカバーだったのである。
次の日大学前のレンタルレコード屋(そうこの時期レンタルレコード屋なる事業が大きく伸びて来だしたのである。これがますます。。。)をのぞき会員カードを作ってもらい手元に「佐野元春」「SOMEDAY」のアルバムがあったのである。

まぢ感動しました。
こんな音楽が自分の知らないところで存在していた。

そして、その親友が自分の音楽の師匠となった。

次から次へと自分の興味にあわせてミュージシャンとアルバムを紹介してくれた。
「山下達郎」「大瀧詠一」「伊藤銀次」「杉真理」「角松敏生」「TOTO」「Earth Wind&Fire」「Asia」などなど。。。
全てが目から鱗であった。

ここから、黒龍の音楽への投資が始まった。

運良く?自宅から大学まで約50分。当時のアルバムはA/B面で46分以内ってのが標準であった。つまり一枚のアルバムを車の中で聴けるのである。

そして、レンタルレコード。

当時バイト代は月7万くらい。その1/3をレンタルレコードとカセットテープ代につかった。

いやぁ音楽は知れば知るほどおもしろかったね。
当時自分はステレオをもってなくて、ほとんどのテープに落とすのは、兄貴のステレオか親友二人のステレオであった。
特に親友二人にはいまさらながらよく付き合ってくれたと感謝したい。

大学3年の末についにケンウッドのミニコンポを購入した。
そして、今度はレコードを買いあさる姿がそこにあった。

大学3年で知り合った彼女(嫁さん)は、京都(ほんとは大阪 枚方)で自分は福井だったもんだから、交互に行き来していたんですけど、福井には中古レコード屋がほとんどない。京都はいっぱいあってね、京都・大阪でのデートは大抵中古レコード屋にいって毎回1〜2時間あさってたりした。

あの当時は嫁さんにも愛情がいっぱいあったからなんも文句もいわないで付き合ってくれたなぁ。
いまじゃとても考えられないね。(/_;)

そして、LPレコードがたまりにたまったのである。。。思い入れの一杯詰まってるレコードがほとんどでなかなか捨てられないんですよね。

LP時代のみなさんは当時購入されたレコードってどうされたんでしょうか?
ん〜っちょっと聞いてみたいですね。

もちろん、時代の趨勢からCDもいっぱいあります。その辺は後ほど。。。